福岡大空襲と路地歩き

今日は福岡大空襲の日です。
この日に合わせて福岡路地市民研究会の路地まち歩きが開催されました。
満員御礼の参加者の方々と、先ずは本日の路地歩きの意図と事前学習。
博多ごりょんさん・女性の会の池田様にもお越しいただき、博多のいろはをご教授。

冷泉荘が面している大神宮横町から一歩出た通りは、中洲から商店街を横断して大博通りへ抜ける大きな通りです。
疎開通と言われています。
空襲による火災の延焼を防ぐ為に、住宅を強制疎開させて取り壊し、大きな通りを作ったそうです。
そのお陰で櫛田神社も残りました。

写真は疎開通


この通りを挟んで博多駅側は燃えていませんので、昔ながらの博多町割りが残っています。当然築100年を越す町屋も健在。
しかしこの通りを挟んで港側は、大きな区割りとなってビルが建ち並びます。

この路地歩きでは、参加者やご協力いただいた方々から
リアカーに子供を乗せて町が燃える中をさまよった・避難所に指定されていた十五銀行(現博多座の場所)に逃げようとしたが満員で入れず・・・
しかしその後十五銀行に逃げ込んだ人たちは熱死して、現在の旧冷泉公民館の場所に運ばれた・博多から焼け出された人たちは箱崎へ逃げて行った
・筑後からも、博多の町が真っ赤に炎上する光景が見えた・・・等々の証言がありました。

戦争ってそんなに昔の話ではないのです。

博多の路地を歩くと、その思いが伝わってきます。
空爆の標的にされることを避ける為に、白い漆喰の壁を黒く塗った後も残っています。

約3時間に渡る路地歩きとトーク。
あっという間の3時間でした。
冷泉荘管理人の私達も、もっと博多の路地を歩いて皆さんにこの出来事を伝えれるようにならないといけない、そう強く
思った大空襲の日でした。

管理人山本

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