出身は産炭地

今日は以前も遊びに来てくれた東京芸術大学大学院の学生さんが来ました。
彼女は産炭地大牟田出身で、石炭で絵の具を作りワークショップや、全国の産炭地のお菓子を集めて市を開催したりしています。

今日は田川市まちづくりワークショップの日。毎回、各部会に分かれて議論する前に前座として田川の魅力を語るコーナーがあります。
第一回は私でした。
今回は東京芸大院の彼女にお願いをしました。
大牟田での活動事例、全国の産炭地での活動事例を報告していただく為です。

とその前に、田川のディープスポットを少しだけ案内しました。
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田川市は言わずと知れた炭坑節発祥の地です。その炭坑節に歌われている二本煙突です。
この煙突は我々田川市民の誇りであり、この煙突を見ると田川に帰ってきたという気がします。
それから解体が決まった炭鉱住宅。
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私が幼いときまでは友達が住んでいました。
田川はまだ炭鉱時代の面影が色濃く残っているのです。
それから築80年を超える米蔵を、アーティストがアトリエとして活用しているコメグラ。
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炭鉱住宅、コメグラは我が家から徒歩3分圏内です。
この日はアーティストごうき・ちゃんを呼び出して見学させていただきました。
ごうき・ちゃんありがとうございました。
あっという間にワークショップの時間となりました。
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大牟田での取り組み、田川の皆さんには良い刺激になったようです。
大牟田市とは、どちらが炭坑節の発祥の地かで戦ったことがあるとのこと。
だからなんとなく隔たりがあるように感じます。
これからの時代は手をつないでいきたいですね!
大牟田での事例報告、ありがとうございました。

冷泉荘の隣の地区、中洲は、筑豊をはじめ炭鉱が栄えた時代に鉱夫で賑わったと聴きます。
石炭を燃やし鉄をつくり北九州が発展。稼いだお金で中州で遊ぶ。
我々産炭地は福岡の発展を支えたと誇りに思っています。

だから筑豊の人は博多のことをよく知っています。

私管理人のこれからの目標は、産炭地の今をここ博多から発信して行きたいです。
そして逆に博多にも遊びに来てもらう。

かつて繋がっていた土地と土地をまた繋げたいなと考え始めました。

まだなんとなくですが・・・。

今日はこのくらいにしますね。

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